こちらの記事のつづきです。まだ読まれていない方は、1話目からどうぞ。
① 専業主婦歴22年のお金もなくコネもなく英検2級の資格しかない49歳が起業したら年収が・・
===
晴天の霹靂!!!
思いがけないことが!!
それは、細々と発信していたブログが、夫の家族に見つかってしまったのです!
もちろん、夫に内緒でお仕事していました。
反対されたくなかったからです。(絶対反対されるから)
でも、夫というより、夫の両親、家族が私の仕事に猛反対!猛攻撃!
仕事やめないなら離婚だ!と袋叩きに合う騒ぎ。
年寄りには、私がブログで発信することで、自分たちのこれまで培ってきた仕事に大打撃を与えると信じて疑わなかったようです。
そんなことほぼ99%ないと思うのですが、ブログなどのメディアを一般人から見ると、なんだかすごいことしているように見えたようです。
その時の私の収入では、まだ「仕事やめろっていうなら離婚するわよ!」とは出られなかったんですね。
それで、仕方なくせっかく作り上げたこの仕事をやめることになりました。
とにかくブログなんてやめろ!
すぐに閉鎖しろ!
と、毎日家族からも責め立てられ、大騒ぎでした。
しかし、仕事はやめるって言ったんです。ブログまで取り上げられたら死んだも同然。
今後顔出ししないし、名前も「モモコ」でやるからこのまま食べたものを投稿したり、このブログは続けていきたい。
仕事はしないから。。お願い。
と泣く泣く仕事はやめることになってしまったのです。
ブログが残ってせめてもの救いでした。
私は、また40代半ばのうつ状態に戻ってしまいました。
趣味もない私は、何もやることがなく、何もやりたくなく、ただひたすらぼー-っとして過ごしていました。
それまで入ってきたお小遣い程度の収入も絶たれ、家でじっとしているしかありません。
潜伏生活のようでした。
潜伏してからちょうど1年後、
起業塾の先輩から、ダイエットしたいから講座やって!というお話を頂きました。
その方がお友達にダイエットセミナー来ない?と声をかけてくれました。
講師として招かれていくだけなら、いいかも。
以前私は、ビジネスマナー研修の講師としてお仕事していたことがありました。
夫もその時にはダメと言わなかったので、講師なら仕事してもいいだろうと思い、私は講師としてダイエットセミナーに登壇することになりました。
目の前に広がる景色はまたばら色に輝き始めました。
自分のやりたい仕事ができるって最高!!
お金の問題じゃない。
生きている!そのものでした。
最初のダイエットセミナーでも、参加者の方がどんどん痩せて評判が良かったので、次のセミナーも開催してくれることになりました。
口コミでどんどん広がり続けて途切れなく仕事ができるようになりました。
話題を呼び、雑誌ストーリーにも結果が出る「ダイエット教室」と掲載されました。
ほんの小さい写真だったのですが、STORYの読者の方は美意識高い方が多いのでしょうね。
「モデル体型ダイエット塾」という名前は一度聞いたら忘れないでいてくださったようです。
雑誌のおかげでお問い合わせが増えて、どんどん受講生さまも増えていきました。
大盛況なのはとっても嬉しいし、仕事も楽しい。
だけど、ちょっと心配することが出てきました。
それは、
私が栄養のプロではなかったことです。
さすがに受講生様が増えてきて、ド素人が教えるのでは申し訳ないのでは?
もっときちんとした栄養学に基づいた話ができる人になりたい!と思うようになりました。
そして、栄養大学短大で学び栄養士の資格を取ろう!と決めすぐに行動に移しました。
運よく大学にも合格し、月曜日から金曜日までは大学へ朝から晩まで通い。
土日がダイエットセミナーと二足のわらじを履いていました。
このころは、年商で700~800万円だったと思います。
さすがに忙しくなり首が回らなくなったので、事務の女性を一人雇うことにしました。
その女性は、セミナー卒業生で大変若くて美しい女性でした。
ありがたいことに、その時のフルタイムのお仕事をやめて私の仕事をサポートしたい、と言ってくれました。
そして、お食事コメントを、やはり卒業生で医師の小林順子先生にお願いすることにしました。
小林先生も受講生様のコメントを快くお引き受けいただきました。
そのおかげで私は、勉学とセミナーだけ頑張れました!
栄養大学は想像していた勉強量の10倍以上ありアップアップ。
理系の学科なので、化学の壁にぶち当たり、老眼鏡かけながら必死でレポート、テスト勉強をこなしました。
栄養大学へ2年通うと学費は400万円弱かかります。
こんなにお金かかるとは思いませんでした。
でも、栄養大学へ行って苦労しましたが私は勉強して大正解でした。
それまでの、ダイエットセミナーの内容も一新し、自信を持ってエビデンスに基づいた指導ができるようになったからです。
大学生活は大変でしたが充実していました。
と、また、
栄養大学2年生になったある日、また私の身にとんでもないことが降りかかってきたのです。
一難去って、また一難。
もう~~どうすりゃいいのよ~~~!
<<<続く>>>
気になる年収は→ 起業ストーリー4で