こんにちは。管理栄養士の三田智子です。
専業主婦歴22年の私が、お金もコネも資格もなく49歳で起業して年収8桁になるまでのお話です。
私は、今でこそ管理栄養士ですが、47歳までまったく栄養なんて興味がなくて、健康にも興味がなくて、ただおしゃれに痩せたいだけのミーハー専業主婦でした。
30代で第2子を出産してから少しずつ太りだしました。
出産してからは、仕事もやめ自由に使えるお金もなく「お金がない」が口癖に。
更に、慣れない育児のストレス、太っていくばかりの自分を受け入れられませんでした。
更に、40代過ぎると、代謝が落ちてくるので、どうしても痩せにくくなります。
40代になっても、20代のスリムだった時代が脳裏に刻まれ、過去の栄光が忘れられませんでした。
それで、いつも鏡に向かって
「ともこちゃん、今の私は仮の姿なの。あなたほんとはこんなもんじゃないのよ!!」
なーんて、自分に言い聞かせていました。変態(笑)
しかし、いくら言い聞かせても、たくさんのダイエットにチャレンジしても、体重は年を追うごとに増えていくばかり。
絶望感でいっぱいになりつつありました。
もしかして、、
もう私、痩せられないかも。。
そんな時、友人とランチしていて、
「私、ダイエットしてもいつもリバウンドしちゃうのよね~。
この前も●●ダイエットで3キロ痩せたのに、またすぐ元に戻っちゃった。
20代のころはずっと40キロ台だったのにーもうやだ~~!!」
と言ったとき
旧友のひと声が私の心をえぐりました。
それは、今の体重が智子さんの「本当の体重」だからじゃない?
え!?
今の体重が私の本当の体重・・・?
いいえ、違うわ!私は、、20代の私は今よりもずっとスリムだったの!
だから、ほんとはこんなもんじゃないのよ!
ホントの私はもっとスリムなはずなのー-!!!
お願いだれかわかって~~~!
ホントはわかっているはずなんだけど、絶対認めたくない!
という気持ちが強すぎてまだ疑っているイタイ40女でしかなかったです。
でも、友人の言っていることは本当のことでした。
そんなの誰の目から見たってわかるはずなのに、
「自分では違う!わたしじゃない!」
ってずっと思い込んでいたのです。
でも、そろそろ目を覚ますときだったのですね。
その現実が受け入れられず、ショックで
1週間ほど寝込みたくなる勢いでした。
20年来の自分洗脳を解いてくれたその友人に、今は感謝しています。
そうか、今の自分がほんとうの私なんだ。。。
ちょうど年齢的にも更年期とも重なり、うつうつとした気分はなかなかぬぐい切れませんでした。
子供たちは、大学、高校へと進み自分の世界を作り上げ、私からどんどん遠ざかっていく時期でもありました。
子供たちは自分の目標に向かってキラキラ輝いている!日々頑張っている!
私ときたらどうでしょう?
40半ばのただのぽっちゃり専業主婦。
もう20年近く腰掛けパート以外では働いたこともありません。
フルタイム勤務は考えてもいませんでしたが、パートもなかなか見つからずに大変でした。
45歳になったときには、10ほどパート紹介会社に登録しました。
しかし、週2回時給1000円のパートを探してみても
いつも「0件」と表示されるばかり。
もう私は社会に必要とされていないんだ。
このまま年を取るだけなんだ。
そして、子供たちは巣立ち、
夫と二人きりの生活になってしまうんだ。。
何の楽しみがあるというの?
何を生きがいに生きていけばいいの~?
おいおいと泣きました。
せめて週2回くらいの楽なパートがあれば、気がまぎれそうなのに。
「資格を取ったら仕事ができるかも?」
と、英語の資格にチャレンジしたり、TOEICを受けたりしてみました。
しかし、実務経験のない私は門前払い。
ネイティブの英語は聞き取れない、外人からの電話はこわい、e-mailでビジネス文書送れない、、
そんなおばさんにはがんばってTOEICで点数とっても、お仕事はひとつもありませんでした。
ここまでも、いろいろ仕事は探していたのです。
たくさん自分でできそうな仕事をするために資格もいっぱい取りました。
そんなスクールにも、いっぱいお金払ってきました。
多分500万円以上は仕事を得るためにお金使ってます。
(栄養士になるためのお金は入ってません)
実は、一度家でネイルサロンも開業しました。
すぐに夫に見つかってやめさせられたけど。。
ネイルサロンやるのも、資格から材料やら、すごくお金かかってます。
株もやって失敗しちゃって・・・。
もうお金ないー-!
っていう感じでした。
ますます、うつ状態は悪化していくばかり。
毎日生きていても何も楽しくありません。
周りの世界がグレーにしか見えませんでした。
住むところもある、子供もいる、夫も生活費をくれる、、、
ママ友とランチくらいは、贅沢しなければまあできる。
でも、心満たされることは1秒もありませんでした。
ただ、息を吸って、息子のお弁当を作って、塾の送り迎えをするだけ。
この母親のお仕事が終わったら、もう私は用がなくなるかも。
無償のこの仕事さえなくなる危機感。
ならば、世のため人のためにボランティアでも、、、
とちょっと顔を出したりしましたが、どうもしっくりくるものはありませんでした。
というのは、ボランティアだと、どうしても性格の悪い私がでてしまい
ほら、私、えらいでしょ!
こんなに「無料で」尽くして「あげてる」のよ!
なんて恩着せがましい思いがいつか爆発しそうな予感がしました。
無償の愛なんて、、、無理。
だったら、
「どうかお仕事引き受けてください!」
と言われる人材になるしかありません。
とはいえ、
今から新しいことなんて、もうできないよね。
無理だよね~、と堂々巡りの毎日でした。
その頃の私はまだ40代。
これからあと50年も生きないといけない!人生の半分も来てないのよ。
そんな私はこれからどうやって生きていけばいいの???
深刻でした。
何もできない。
何かしたいこともない。趣味もない。
お金もない。コネもない。資格もない(英検2級だけ)
40代の小食小太りのおばさんの未来は如何に!?
→起業ストーリー2へつづく